仙台のコワーキングスペース「ノラヤ」戦う管理人

仙台市青葉区、地下鉄北四番丁から徒歩8分のコワーキングスペース「ノラヤ」を運営している人の赤裸々なブログ。

ノラヤは「サードプレイス」になりうるか?

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note.mu

このような記事を読みました。

 喫茶ランドリー。

 

少し前にコワーキングスペース界隈でも爆発的に話題になった場所です。すごいなぁ、こんなことできたらなぁ。称賛と少しの羨望を込めて、私も見ていました。

kissalaundry.com

この記事なんかすごくいい。

www.mnhrl-blog.com

 

で、冒頭の記事はその喫茶ランドリーの運営の大西さんが書いたものです。

サードプレイス。コワーキングスペースもしばしばそのように称されますが、はたしてそうなのでしょうか。

ノラヤは、サードプレイスなのでしょうか?

 

記事をところどころ引用しつつ、8つの条件を一つづつ見てみましょう。

□1.個人が思いのまま出入りができ、もてなすことを要求されず、全員が心地良くくつろぐことができる中立地帯としてある

ノラヤはアウトです。週3しか空いてないのでおもいのまま出入りできません。外から気軽に入ることができません。(ノックして中から開けてもらうシステム)もてなすことを要求されず、というのはどうでしょうか。中に入った人に特段、コミュニティに貢献するなにかを強要しているわけではないので、そこはなんとか大丈夫でしょうか。 

□2.会員等アクセスに制限がなく、あまねく人々が入ることができる

 これもノラヤは会員登録をお願いしているので、だめなんですけど、この視点ちょっとおもしろいです。

明確な入店不可が書かれていなても、「女性だけの○○」「子どもの○○」などというメッセージが発せられているのもある種のアクセス制限となります。つまりターゲットを絞り、それを対外的に謳った時点で、そのお店や施設の「サードプレイス」としての純度が下がるということです。

 「女性のためのコワーキングスペース」も「起業家が集まりお互いを高め合うスペース」も、だめだってことです。これ、かなりのコワーキングスペースが弾かれてしまうんですね。商売をやる上ではターゲットを絞ったほうがいいと言われるんでしょうがないですけど。

ノラヤは「ダメ人間のためのコワーキングスペース」「仙台で一番意識の低いスペース」と言っていますが、これも絞っているってことか……

□3.会話が楽しく、活気で満ちている

これも、あーというかんじ。会話が楽しく活気に満ちている時もありますけど、そうじゃない日のほうが圧倒的に多い。ほとんどのコワーキングスペースは、そうなんじゃないでしょうか?イベントでもない限り、難しいでしょう。だって日本人ってなかなか会話で盛り上がるの厳しい。

ましてや東北の地域性では「会話なんかいいから、ひとりで静かに居させてほしい」ニーズが確実にあります。しゃべるよりほっといてくれという声を圧倒的に多く聞きます。そういう人たちを「会話が楽しく活気」の空気で排除してしまうとすれば、それは「2. あまねく人々が入ることができる」と矛盾するのでは。

……それはスペースが広ければ場所を分けることで実現できますね。ノラヤは狭いから日をわけて「夜の自習室」もやってるんです。

ただ、昼の場合は「話してもいい」空気は維持するようにしてます…そもそも管理人がコミュ障なので難しいけど。 

□4.アクセスがしやすく、中にいる人々が協調的である

ノラヤはアクセスはいいです、一階だし。でも扉を自力で開けられないです。

人里離れては、いないと思います、ぎりぎり。

協調的、この点についてはどうでしょう。ちょっと判断できません。ただ、昔からノラヤを好いてくれているメンバーは協調的な人が多いように思います。

□5.常に「新参者」を快く受け容れる「常連」がいて、いつも心地良い空気をつくる

常連さんが居る時はいい空気があるのですが、そもそもノラヤはお客様が居る時のほうが珍しい。

管理人の私としては、(レアケースだけど)常連さんと新規の方が同時にいらっしゃる時は、お互い共通のなにかがあったら結びつけて会話できるような雰囲気にしたいと思っています。

□6.日常に溶け込む簡素な外観(デザイン)をしている

ここに関してはノラヤは「そうです」と言えるかな。記事中笑ってしまったのが、このくだり。

日本には、いわゆる「オシャレ」という言葉で済まされがちな、スンっとしたデザインを良しとする傾向にありますが、あぁいったオシャレ空間は、ある層(気取った奴ら)の心を躍らせる一方で、多くの人に居心地の悪さも提供しています。特定の人に受け容れられるデザインではなく、もっともっと日常に溶け込むデザインを考えるべきだと。

コワーキングスペースがいかにもコワーキングスペースでございというデザインなの、おかしいと思ってます私は。たしかに「スンッ」としてますよね!ミニマムで無駄がない、すっきりした空間。

それでいうとノラヤは日常だと思う。外観も「スンっ」としてないし、家具もリサイクルショップで買ったり、自宅から持ってきたものばかりだし。

最近「仙台にはコワーキングスペースとは名ばかりの安っぽい机と椅子が置いてあるだけの場所しかない」「ニューヨークやロンドンではビックリする位オシャレなコワーキングスペースが続々生まれている」「だからオシャレな場所を作る」ということで生まれたオシャレ連発してる場所が仙台にできましたが、彼らはこの記事をどう見るでしょうか。気取った奴らが喜んで使っているのでしょうか。

□7.明るく遊び場的な雰囲気を持っている

遊び場的な雰囲気!!

出したかった。「こけむさズ」を見てすごくお手本にしたかった。だからオープン当初はテント張ったりしてたけど、今、なくなっちゃいましたね。

反省すべき。他人の手垢がついて能動的に変化する場所でもあったんですけど、変えたの1人だし。

ちょっとなんとかしたい。

□8.もうひとつの家、リビング、家族的な存在である

これが最後の条件です、どうかなぁ。私にとっては確実にもう一つの家だけど。

まるで自分の家にいるかのような安心感、そこにいる人たちが家族のような存在、自分の今の人生においてなくてはならない存在であるということ。モノやサービスがその人を満たしているのではなく、あらゆる面から、自分の心理的な健康を大きく支える、生きていく上で大切な存在になっているということです。

東北在住の多くの方々は自宅や家庭がそこそこ快適らしく、そんな場所を家の外に求めないのではないかと思われます。でもそうじゃない人もいるよね。

ノラヤがなくてはならない場所になって欲しい、というのは実は考えていない。そうなったらノラヤが潰れた時迷惑をかけるから。そして誰かの人生の一部にすら、多分、なれてない。いいんじゃないのかなぁ、べったり依存されるより、たまにそういやノラヤって場所があったかなぁと思いだしていただけるほうが……こういう意識だからノラヤって儲からないんだろうなー。

 

さて。こうして見ていって、ノラヤはサードプレイスに程遠いとわかりました。

ただ、アクセスの悪さとオープンさが損なわれているのは、嫌がらせで一ヶ月ほど閉店を余儀なくされた事件も影響しています。身の危険を感じることは、やりたくない。

潤沢にリソースがあるところと、個人でやってるうちとの違いです。

一階というオープンな場所の重要性をこの記事では書いてますけど、一階は危険でもあります。あの事件の前はろくに考えてこなかったことでした。

 

喫茶ランドリーのような、オープンで、人に満ち、いろんなことが次々起こる場所にあこがれつつも、ノラヤは今後もこの形態なのかなぁと思います。