東京コワーキングスペースめぐりをして思った
3/28、29と二日間、ほんの短い間でしたが東京でコワーキングスペースめぐりをしてきました。
それで、一番実感したこと。
「ノラヤは、だめじゃん!」
(笑)
なにが一番ダメだというと。
東京で行ったコワーキングスペースは、「ずっとここにいたい!作業していたい!落ち着く!」という感じに満ちていました。
広々としていて、開放感があって。
そして自分がノラヤに戻ってきて、思いました。
「狭い!息が詰まる!」
ふらりと訪れた、アノニマスなノマドワーカーになって、「あ、ここに居たい」と思えるか。
あの、Lubuntuの動かないネットワークに悩みながらも、いつまでも悩んでいろいろ思い出してこうやるんだったと試行錯誤している、その積み重ねの作業が楽しいと思えた、ふと作業の手を止めて「はーーーーーーっ」って深呼吸したくなる気持ち良さがあるかどうか。
そこにいる人たちのゆるやかな動きを眺めて、それがなんとなくBGMじゃないけど、良い「背景」になっていて、自分がそこになじむのが気持ちよく思えるかどうか。
そういう点で、ノラヤは落第だと思いました。
いや、ほんとーーに、運営者が利用者の身になってみることって大事だと思いましたね。
私は、常連さんの評価に甘えていました。
なごむ。ダメ人間でもいられる。狭いので強制コミュニケーションが取れる。仕事はする気にならない。なごみに行く。
たしかにそんなコワーキングスペースは仙台ではノラヤだけです。
だけど、私が作りたかったのはそういう場所なんだっけ?
ただ、手が届く物件というだけで見つけた安い場所を借り、狭いなりのメリットを追求した。
だけど、それじゃ限界があるし、なにより東京に行った私のように、ふらっと来た人が快適に思える場所じゃない。
あの、「はーーーーーーっ」が、ない。
宴会イベントスペースが作りたかったわけじゃないだろう?
仕事にならないスペースが作りたかったわけじゃないだろう?
仕事がはかどる場所を作りたかったんだろう?
常連の皆さんに「居心地がいい」と言われて、それに「常連さんに支えられて感謝しています」なんて、よく考えたらおかしい。
クローズした世界だけの評価に甘えてるってことですよね。外からの評価からは耳を塞いでいる状態。
私の嫌いな、内輪のお仲間で「いいね!」しあって自己肯定感を育んでいる自己啓発セミナーのみなさんと同じじゃないですか!
もし、今のままで狭い場所で「なごむ」スペースを続けていたとしましょう。イベントを多くいれたとしても。類似の狭いスペースはいくらでもある。そういうところは、マンションの地主や不動産を所有している人が自分の物件の一部を使って、ほぼ無料で場所を貸したりしている。地主の方々は時間的余裕もある。ノラヤは私が個人で家賃を払っていて、かたわらアルバイトもしないと生活できないので毎日は開けられない。圧倒的に不利。
「ノラヤでやっていることは福祉だ」と言われたことがあります。
「どうしてこんなことやっているの?よっぽどお金持ちだから?」と言われたこともあります。
当初の思いを、いろいろ見失っていたことを、実感しました。
とにかく、今のノラヤじゃだめだ。
「移転したい」
と、強く思いました。
キッチンもあって解放感もあって、いつまでも作業したくなる気持ちのいいスペースを、作りたい。土曜も日曜も夜も開いていて、使いたい時に使える場所を作りたい。
仙台では、まだそれに相当する場所は、ないです。(cocolinは雰囲気の感じが近いけど、志が高い人が集まることでコミュニティのクオリティを保っているんであって、誰でもふらっと入れるわけではない)
でも、個人でできることではありません。少なくとも私は。
んじゃ、どうしたらいいのか。さっぱりわかりません。
個人で、だらだら続けることはないな、と、それだけはなんとなく決意しました。現時点で。