コワーキングスペースの自習室化に思う
コワーキングスペース、自習に使ったって全然構いませんよ。いろんな使い方の可能性があるんですからね、コワーキングスペースって。
仙台のコワーキングスペースである、ここ「ノラヤ」でも、自習室としても使って欲しいと前からアピールしてきました。 実際、自習目的の利用者がけっこう多いです。
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しかしこんなことも考えていました。
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そしてついに、「夜の自習室」という、ノラヤの別モードをイベント化してスタート。
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そうこうしているうちに仙台に有料自習室ができました。
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そこが大人気らしいと聞いて、こんなブログを。
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そんでも、ノラヤは自習室じゃなくてコワーキングスペースです。たいてい人が少ないので静かな自習モードになっちゃうけど。「夜の自習室」は、あくまで場所を借りてるというスタンスでいます。
(以上、長すぎる前置き)
ところがですね。「コワーキングスペース」なのに、コミュニティもなく、他人に煩わされることもないから安心してね、と明言しているところがちらほら見受けられるようになりました。
たとえば、こういうのを定期投稿しているコワーキングスペースコオリヤマさん。
数ヶ月前からこういう方針になったようです。つながり否定、コワーキング否定の「コワーキングスペース」。驚きました。
さらに、こちらの近日オープン予定のコワーキングスペースについて、PAX Coworkingさん(いまはない老舗のコワーキングスペースだけど、中の人は今でも元気な佐谷さん)が嘆いてます。
カタカナで「ヒト」って書いてるのはなんでだろう、生物としてのヒトってことなんだろうか……とかどうでもいいことが気になってしまいましたが、それはおいといて。このページの上部には「様々な出会いや交流が生まれるような空間設計を目指しました。」って書いてあるのに、そのあとの文中に「ヒトが干渉(しない)」という表現が二回出て来るんですよね。
前回、書いたブログで引用した記事にもこんな表現がありました。
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コワーキングスペースとは、フリーランサーが仕事場に使っていたり、高校生が受験勉強に使っていたりする貸出スペースのことです。
もはや、「コワーキングスペース」の説明や特徴に「コワーキング」の、「コ」の字がないんです。いや、かろうじて、場所だけ、設備だけ、共有。
もはやそれは、ドロップインのできる間仕切りのないシェアスペースでは。
いや、それを自習室というのでは。
たとえ結果的に自習室利用の人が多くても、コワーキングスペース運営者としては、ここはコワーキングする場所だという意識は持ち続けて、交流イベントをやったり、日常に人と人とを結びつけたりして、おもいがけない出会いから生まれる化学反応が起こるのを心待ちにするもんじゃ…ないのかな。
積極的に「交流もなんにもないよ。他人に煩わされることなく一人で思い切り集中できるよ」と、コワーキングスペースが言ってしまっていいのか。と、ノラヤ管理人は、思います。……コワーキングスペースだって稼がなきゃいけないから、ニーズに合わせて自習室的なほうをアピールせざるをえないのかもしれません。ヒリヒリ実感してます。ぶっちゃけ、自習室をやったほうが人が来るんだという現実。悩ましいところです。
「コワーキングスペースの自習室化」という言葉が浮かんでしまったのですが、これには元ネタがあります。
誰も知らないだろうけど「寮のアパート化」っていう言葉があったんです。20年以上前、管理人は大学の時入学から卒業までをずっと寮で過ごしたんです。自治寮で、寮生が運営していました。運営委員も持ち回りで、機関紙を発行したり交流イベントを企画したり、新入寮生をサポートしたり、まさにあのころ寮の運営委員は運営の仕事だけでなくコミュニティマネージャ的な役割を担っていたと思います。で、委員会を全員が経験するので、学年が上になるにつれみんなコミュニティマネージャっぽくなっていきました。でもそんな20年ぐらい前に、ただ寝に帰る場所のように寮がなってきたのではないか、ということを問題視して「寮のアパート化」って言われてたんですね。
なんか、コワーキングスペースのケースと似ていませんかね。
そんな古き良き寮は、老朽化もありますが次々なくなっていってます。
コワーキングスペースも………
いやいや。