仙台のコワーキングスペース「ノラヤ」戦う管理人

仙台市青葉区、地下鉄北四番丁から徒歩8分のコワーキングスペース「ノラヤ」を運営している人の赤裸々なブログ。

東日本大震災から3年経ち、コワーキングに関連して思ったこと

東日本大震災から3年、という3/11に、なぜか今年はこれまでを振り返ってあの時自分はどうしていたか、それからどうなったか……を、SNS等に文章であげている方が多かったので、私もちょっと考えてみました。
仙台という被災地にいますからね。

考えたこと2点。

1つ目。災害に遭うなら、誰かと一緒のほうが絶対いい、ということ。
ええと、変な表現ですけど。
東日本大震災の時、私はシェアオフィスにおりました。オフィス内に他3人いて、ビルだったので近隣のオフィスの人たちとも会話することができました。この突然の事態にとにかく驚いて、恐怖して、でも誰かと会話を交わしているうちに、徐々に、じゃぁどうしようかという、自分が行動できるモードに移行できました。その後何日かかけて、少しずつ仕事ができるようになっていく過程で、シェアオフィスに誰かが居て、会話できるというのは、本当にありがたかったし、もちろん情報も仕入れられたし、安心しました。

本来なら、稼げない自営業ですから、シェアオフィスなんて贅沢の極みなんですよ。でも、自宅兼事務所じゃなくて、本当に良かった。
震災の日帰宅して、自分の部屋に行って、大量に倒れた本棚を見て背筋が凍りました。
もし、私が一人でここで仕事していたら、潰れてたし、本棚が倒れドアや階段や廊下をふさいだので、部屋から脱出できなかったです。絶対無理でした。そして、きっと怖くて怖くてたまらなくてパニックになっていたと思う。ここに閉じ込められたら、玄関からも遠いし、電気もネットもつながらないし、どうなっていたんだろうと思いましたね。

こういう点でも、コワーキングスペースやシェアオフィスの意義ってあると思う。一人で仕事するんじゃなく、誰かのいる場所に居るということが、どんなに安心か。我々がこうして生きてく上で、明日もあさっても同じように日常が続く保証なんて全然ない。災害がなくても、一人で家に居て急病になったらどうなるんだろうとか思うと。人はなるべく、誰かといたほうがいいんだなと、当たり前のことを思いました。
他人は煩わしいものです。私なんて、人付き合い苦手でぼっち大好きです。でも適度な距離感が保てるコワーキングスペースって、「誰か居る感」だけ欲しい場合でも、いいんじゃないかと思います。


次に。2つ目。
もし震災がなかったら、「ノラヤ」はあっただろうか?いや、なかった。

そもそも震災がなかったら、仙台にコワーキングスペースってこんなに出来ていたんでしょうかね?
cocolinは運営会社がそもそも被災地支援の会社ですから、震災があったからできた場所、でしょうね。他は、それぞれのスペースのオーナーに聞いてみないとわからないですけど。「人の繋がりを持てる場を作りたくなった」と考えてスペースを作ったとしたら(そういうスペースはめちゃくちゃ多いとおもうけど)、たしかに震災のことは大きいかも。絆って言葉と親和性が高い。
では、ノラヤはどうだったかというと。
「そもそも震災前から模索していた、自分の仕事場として欲しい場所を作った」という点で、ノラヤは他のスペースとは大きく異なります。つながりとか絆とか、ぜんっぜん考えてない(笑)。
でも、やっぱり震災がなかったら、できなかったと思う。
なぜなら、私が震災を経て「いつ死ぬかわからないんだから、やりたいことはできるときにやってしまえ」と思うようになったから。
震災がなかったら、金がねぇ時間がねぇ育児がある、と言って、相変わらずもぞもぞと鬱屈して日々を送っていたと思います。
でも、震災があって「やりたいことはやっちまえ!」「言いたいことはいっちまえ!」「嫌なことはしないで好きなことだけするようにしよう!」「好きな人には好きってちゃんと伝えよう!」「嬉しい時は嬉しいって言おう!」……そう思うようになりました。
それが、「仙台にワーキングスペースを作ろう研究会」を思い切って立ち上げる原動力になりました。
それと、復興支援で仙台に来た人が「電源使える場所がない!」「PC使って長居できる場所ないの!?」「駅周辺に電源がない!」ってツイートしているの週に1回くらいは見かけていたので、そういう場所が仙台に必要なんだなって思いもありましたね。今はコワーキングスペース以外にもそういう場所増えて、電源難民はいなくなりましたが。

震災で、コワーキングスペースを作る「きっかけ」ができました。
私自身あまり大変な目にあってないし、知り合いで亡くなった人もいないし、被災地に通い詰めてもいないし、震災の話を見聞きして涙したことも一度もないので、こんな、のんきなことを言ってるのかもしれない。
それに、ノラヤをオープンできて私にとって良かったのかどうか、今はまったく判断できません。もしかしたら数年後、ノラヤさえなければーって後悔してるのかもしれないし。
でも、今の私は、ノラヤがあってとても楽しい。こうしてノラヤに行かない日も、行きたいなぁと思います。うーん。本当に自分のことしか考えてないけど、たまたまそれが誰かの気に入って、誰かがほっとできる場所になったら、ラッキー。そういうのがあってもいいんじゃないだろうか。
いつなにがあるかわからないから、やりたいことやります。